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慈英がまさかの記憶喪失!?君の名は?状態!崎谷はるひ原作「はなやかな哀情」BLCDレビュー後編

 過去最高傑作と称する本作「はなやかな哀情」。熱量が強過ぎて後半に持ち越しました。前編は「あ、これ別れるわ」と悟るしかない最悪な状況に終わってしまったトラック11。別れるはずがないと分かっていても、涙が止まらない。泣いてばかりの前編でした。長野の風は嵐ですよ本当。後半もがんがん泣いていく予定ですので、もうしばらくお付き合い下さい。

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 作品名:はなやかな哀情
 原 作:崎谷はるひ著
 レーベル:Atis collection
 メインキャスト:秀島慈英(CV.三木眞一郎)× 小山臣(CV.神谷浩史)
 設 定:画家 × 刑事
 ジャンル:サスペンス/ロマンス
 エロ度:★★☆☆☆
 ラブシーン回数:3回
 ラブシーン分数:5分36秒(1回戦,1:47 / 2回戦,1:53 / 3回戦,1:56)
 あらすじ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 刑事である小山臣の転勤に合わせて画家の秀島慈英が長野の市外へ移り住み、二人は
付き合い始めて7年という月日が過ぎていた。あるとき慈英はかつて自分をを業界から
追放しようとした鹿島から呼び出され、彼の事務所へ行くことに。そこで倒れた鹿島を
発見するが、何者かに殴られて意識を失う。知らせを受けて病院へ行く臣を待ち受けて
いたのは臣のことを忘れた、臣に出会う前の冷徹な慈英だった。
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 ◾️限界ヨロシク
 臣さん、もう限界です。そらそうです。もう無理ですよ。むしろここまで耐えてきたことを労いたい。決め手はやはり「俺が男と付き合うなんてありえない」の慈英砲。さらに堺さんも臣の様子を心配して、慈英は東京に帰した方がいいと言われる始末。そんな状況のなかでも、それでも慈英の盗まれた絵を必死に探す臣の姿がまた苦しいです。

 幡中奈美子事件の犯人を確保する際に怪我をした臣は、手当する慈英に抱きつく。戸惑いながら「小山さん」と呼んだ慈英に返した、

 「そうやって呼ぶの、やめて?」

 が妙に色気を含んで聞こえました。しばらく夜のダイナマイト臣さん聞いていなかったせいで、禁断症状でしょうか。そうこうしているうちに、また悲しいことを言う。

 「だからもう、切ってくれていいよ」

 わー、言うてもうたー。しかしこの台詞のなかには臣らしいというか、希望と絶望の間というか、自分からは切れないんですよ。何故なら愛してるから!記憶を失ったからといって自分から関係を絶てるような関係ではないわけですよ。もうほとんど体の一部といっていい。切れるわけがない。けれど慈英が離れると言うならそれを尊重するという精一杯の覚悟をみせた臣に、締め付けられる思いです。

 ◾️俺じゃダメか?
 いや、こんな台詞は言ってないのですけれど。一方の慈英βは、臣に抱きつかれたあと、駐在所で制服のままの臣とイチャコラサッサする夢を見たりなんかしちゃったりして。ええ。完全に記憶失った慈英βは二度目の恋がはじまっているご様子でございます。そこで筆者は思うのですが、今の慈英が臣を好きになったとしても、それを臣が受け入れるかどうかはまた別の話ですよね。紛れもなく慈英だけれど、紛れもなく慈英ではない。入れ物が同じだけで中身が変わった人間のことを果たして同一人物だと言えるのか。記憶失ってもまた恋しちゃえば万事解決、というわけにはいかない複雑さを孕んでますよね。

 ◾️この二人の破局するシーンを聞かされるとは思っていなかった
 幡中奈美子事件の聴取のため駐在所を訪れた慈英は、例にもよって恋人同士ならセックスしていたのか、などと言い出す。(お前は中学生か!)もうね、臣のなかでは半分終わってるんですよ。なのに慈英がはじまっちゃってるんですよね。それで話が話なだけに、人気のないところに移動して話をします。

 臣はぽつぽつと静かに慈英が二度と超えることがない存在だと語る、神谷さんの静かに、諦めたような、冷静であるようでそうでないような、落ち着いたトーンの演技に舌を巻きます。だがしかし慈英がよ・・・聞いていて本当にガキだなと。今の自分を好きになってくれアピールを、また遠回しに臣を追い詰めるような言い方でするもんだから、腹立つんですわ。

 「俺とのことはあなたにっとって簡単に諦らめてしまうような、その程度のことですか」

 バカヤロウ!簡単なわけねえだろ!それだってこれまでの臣を見ていて気付かない慈英ではないはずなんですよ。もうね、好きな子いじめるみたいな美徳でもなんでもない滑稽なことやってる慈英が、聞いていると本当に別人なんだなと、臣と同じ気持ちになったような気にさえなりますね。想像力の欠如ですよ。画家として致命的な人間性だろ。イマジンだよ想像しろバカチンがあ!あ、すみません取り乱しました。

 強い言葉を吐かれて傷付きながらも、慈英を責めることは絶対にしない。包み込むように話し続ける臣。

 「ごめんな、俺、お前のこと好きだよ」

 臣にしたって、自分から慈英に「もうやめよう」などと伝える日が来るとは思ってなかったでしょう。自分の胸をナイフで突き刺すような痛みに耐えて、それでも慈英のことを大切にしたいから言えた。けれど「小山さん」だけはずっと許せない。これだけは記憶を失った慈英のことを唯一受け止めきれない臣の、叫ぶような生の声に聞こえます。

 ◾️俺じゃダメか?パート2
 慈英はフサエの家で嗅いだにがよもぎの香りによって、事件当時の記憶が一部回復。そして臣だけの記憶が飛んだ理由も思い出した。犯人から「お前の大切なものをもらっていく」と言われて、死んでも取られたくないのは臣だと咄嗟に考えた慈英。奪われるくらいなら最初からないものにしようという心理が働いて、記憶に鍵をかけたことが原因だった。死んでも取られたくないから記憶をなくして永遠に閉じ込めるという思考が慈英らしい。こまっしゃくれてるところがね。

 そのことを思い出した慈英は臣に告白をする。そのときの台詞にもあるように、好きだったことを思い出したのではなく、慈英βが臣を好きになったと。で、まだここでは記憶が完全に戻っていない慈英βのままなわけですが、意外にすんなり臣は受け入れたな、という印象。慈英βが臣に寄せている好意の半分は、オリジナルの慈英による影響なのでは?ということは慈英βの自発的な感情と言えるのか分からないのでは?とか意地くそ悪いことを考えなくもないですよね。けれどそのことも全てこの台詞に集約されているのかもしれません。

 「俺がおまえを好きなことは、おまえが俺を好きでいてくれるかどうかとは関係ないんだ」

 記憶を失っても、慈英がこれまで臣と過ごした事実が消えるわけではない。慈英が臣にしてきたことも。そうやって考えると、慈英βも臣にとってはたった一人の”慈英”で、それ以外に御託はいらないのかもしれません。

 ◾️慈英βと最初で最後の夜
 シリーズ1作目を思い出させるような台詞に懐かしさを覚えつつ、筆者がびっくりしたのは、三木さんの「臣さん」の呼び方。明らかにオリジナル慈英とは違う、呼び慣れないぎこちなさが絶妙に含まれている演技を聞いて、感嘆。そのあと記憶を思い出してからの「臣さん」と聞き比べると、演じ分けの違いがよく分かります。ものすごい演技力です。また神谷さんも、全て思い出した慈英に向けて放った「遅い!」が、たった二文字のなかに辛かった、よかった、愛してる、全部が込められていて、これまた技ありでした。

 記憶を取り戻すトリガーになったのは、臣を絵に描くという行為でした。慈英にとって死んでもなくしたくないものが臣、唯一選んだ無二の表現方法が絵画、その二つを掛け合わせた行為がトリガーになっていて、すっと腑に落ちてきます。

 ただ、記憶を取り戻してよかったと思う反面、慈英βも憐れだなと思うのは筆者だけでしょうか。せっかく臣への恋心を自覚して初夜を迎えたのに、オリジナルにとって代わられてしまったわけです。あれだけ臣のことをいじめ倒している慈英βに「てめえ!」と思っていたのに、いざこうなってみると少し悲しい気もします。

 そして一つ、気になる台詞が。

 「結局、何度もこれで捕まる」

 という台詞。「これに」だったら臣に捕まるという意味だとすんなり捉えられるのですが、「これで」という表現をあえてされているような印象。臣は慈英にとって聖像であり、唯一崇めるもの、というモノローグのあとにこの台詞がきていることからも、捕まる対象が臣であることは間違いないのですが、どうもそれだけではない含みを感じます。臣を愛するあまり、崇め、聖像にして自分の絵の中に閉じ込めようとした自身の強い思いに絡み取られる、という意味なのでしょうか。他の皆さんがどのような解釈をされたのか気になるところです。

 ◾️物語が濃密で煩悩がふっ飛ぶ
 唐突ですが、本作は約3時間の収録内容に対して濡れ場はたった3回。内1回は夢オチ。全部で5分程度しかないのです。通常運転であれば、3時間のCDに濡れ場5分などとぬかしやがりました際にはメーカーに直接クレーム入れるレベルで怒りますよそりゃあ。ですが本作に限ってはそんな煩悩はふっ飛ばされました・・・。そもそも聞いていてそんな欲求が起こらない。起こる余裕がないくらい作品に没頭されられるからです。いやあでもこれってすごいことだ。濡れ場はBLにとって切り離せない催事です。むしろ主食といっていいときすらある。しかも崎谷さんは元来から濡れ場が長くて濃いお方ですよね。それを極限まで削っても物足りなさを感じさせない作品の引力。あっぱれ。ぐうどころかチョキとパーの音も出ない。

 ◾️「長野の風」は公式と相成りました
 めでたく入籍を約束したじえおみカポー。足踏みをしていた臣も、さすがに今回の事件を受けて覚悟がついたというところでしょうか。自分以外誰もいない臣の戸籍に慈英が加わると思うと、なんとも筆舌に尽くしがたい気持ちになりますね。
 そして本作のラストのラスト、皆さんもうお気づきですよね?(なにが)臣さんが何と言ったか!

 「走り出す自転車が”風”をきった」

 はい!長野の風言うたー!はい公式ー!しかも筆者がシリーズ史上最高傑作と崇めるこの作品のラストで聞けるとは、デステニーを感じざるを得ない・・・。そしたらもう”長野の風”は私たちしなやかシリーズを愛するファンの呼称にしましょう。うん。それがいい。そうしよう。

 ◾️末筆
 熱量が多過ぎて前編後編に分けてお送りしましたが、楽しんでいただけたでしょうか。崎谷さんもご自身でおっしゃられていますが、てんこ盛りなんですよね原作自体が!今回あまりサスペンス部分には触れていませんが、慈英が記憶を失くすという大問題のほかにも平行して街で暴力事件が起きたり、記憶を失くす元凶となった暴行事件では慈英の絵が盗まれていたりと、てんこ盛り。レビュー記事でもまとめるのが大変なので、実際の編集はもっと大変だっただろうなと。スタッフの皆さんお疲れ様でございます。そして編集、脚本、演出、演技、原作、全てにおいて作り込まれたプロフェッショナルがあるからこそ、本作はここまで感動を呼ぶ作品に仕上がったのだと思います。筆者はこれまで、商業なり二次なり生ものなり実に様々なBLを食してきましたが、この二人は確実に三本の指に入るカップルです。これは長野の風である筆者の手前勝手な欲望ですが、崎谷さんには筆をとっている限り書き続けて欲しい二人であり、どんなに市場が縮小しようと円盤化し続けてほしいと思っています。いつまでもいつまでも浸っていたい人生の楽園の一つですから。

 次回、あの三島が再びやってきた!今度はごりごりサスペンスだぜ!崎谷はるひ原作!「たおやかな真情」レビュー